MEMORY

2024-01-09 09:30:00

CASE 2

松尾 領真さま(コンサルティング会社)

 

 

Q:このプログラムをやってみよう、と思ったきっかけは、何ですか?

 

まことさんとは、もともとつながりがあり、とても信頼しているので、

プログラムを紹介されたとき、すぐにやってみよう、と思いました。

 

ちょうどフィードバックを必要なときに必要なだけ受ける、ということを課題として感じており、

他者からの視点を得るためにも、このプログラムに参加しました。

 

Q:実際にプログラムをやってみて、どうでしたか?

 

自身の想いを言語化し、他者からの視点で自分を客観視する。

そうすると、自分では気づけなかったことに気づけます。

 

例えば、佐宗邦威さんの「じぶん時間を生きる」という書籍を参考に、

Ikigaiフレームワークを活用して、

思考の型や時間の使い方を振り返りました。

 

そうすると、自分がモヤモヤしていることや、腹落ちしていること、

起きている事象や感情に、どのように意味づけをしているのか、

何を以って良い/悪いと判断しているのか、見えてきます。

 

また、自分がどんな言葉を使っていて、それをどういう定義で使っているのか。

それがわかることで、自分に対する新しい発見につながっています。

 

それらを繰り返していくと、「自分って、こういうとこあるよな」と思えるんです。

ネガティブなことも、ポジティブなことも。

自分の中に沸き起こる感情も、何かの事象に対して自分が想うことも、

「なるべくして、なっているんだ」と思えます。

そんな風にして、自分に向き合えるようになります。

 

そうすると、自分が何かの問題に直面したとき、

その問題も、なるべくしてなっている、と思えるようになるんです。

その問題にも、何かしらの経緯があって、意味があるんだ、と。

 

また、そう捉えると、答えは1つに限らないな、と思えてきて。

それで、答え探しも工夫するようになります。

 

たいてい私が行き詰まるときは、

答え探しの方法が論理的だったり、

相手にとっての気持ち良さを優先するときなんです。

 

自分にそういう傾向がある、と気づけたのも、

このプログラムを通して得られたものになります。

 

Q:プログラムをやる前と後で、何が一番変わりましたか?

 

他者とのコミュニケーション、他者との向き合い方です。

 

例えば、会社のミッション・ビジョン・バリューを検討するにあたり、

社長や他事業部のキーパーソン、部下に対して、

私から相手に期待していることを伝えているだろうか、と振り返る機会がありました。

 

私から期待を伝えていなければ、

相手からすれば、その期待を想像するしかなく、想像で動くしかありません。

 

その分、相手に余計なエネルギーを使わせてしまうことになるし、

私も期待に応えてくれないことへのもどかしさを感じることになります。

 

だからこそ、ちゃんと期待を伝えて、お互いにコミュニケーションしてから始める。

確証をもって進めるようにしました。

 

あとは、コミュニケーションの際に、

相手は自分自身の気持ちを話しているのか、客観的事実を話しているのか、という点に着目すること。

それによって、伝え方も変わりますし、期待自体も変わってくるので。

 

とはいえ、どこまで行っても、他者を変えることは難しい、と痛感しています。

だからこそ、自分が変わるしかないんだな、とつくづく思います。

 

Q:プログラムを検討されている方へ、メッセージがあるとしたら?

 

他者の視点を得る、という私のもともとの目的にかなっているので、

プログラムが終了しても、継続参加をしています。

なので、同じような目的の方がいらっしゃれば、

このプログラムに参加した方が良いかもしれません。

 

私が印象に残っているのは、

平野啓一郎さんが「私とは何か」という書籍で提唱している「分人」という考え方です。

 

シンプルに言うと、「人は、色々な顔を使い分けている」という考え方ですが、

それを自分にも当てはめてみると、自分を客観視できるようになります。

 Aさんには、こういう顔を見せているな、とか。

 

私は、相手に良い顔をしてしまう傾向があります。

それが自身のストレスにもなっていて、

良いことじゃないとわかっていても、そうなるときがあります。

それを続けていくと、自分とは何か、がわからなくなるんです。

 

けれでも「分人」という考え方を取り入れて、

自分を客観視できるようになると、

自分を評価できるようになりました。

 

いまここで振舞っている自分は、やんちゃな自分だな、とか。

イラっとしている自分だな、とか。

 

自分という一人の存在の中にも色んな顔があって良いのだと、

揺らぎがある自分自身を受け入れられるようになりました。

 

そう捉えれるようになると、自分の許容範囲が広がる感覚になるんです。

 

じゃあ、別の自分で今日は話してみよう、と思えます。

 

もちろん相手にとっては、私の調子が変わるので、

戸惑うこともあるかもしれませんが。

 

けれども、意識的に自分を選択できる、

好きな自分でいれると思えるようになって、私は救われました。

 

だから今でも、誰かと会話しているときや何かにチャレンジしているときに、

ふと「分人」という言葉が頭に浮かんできて、

「あ、今はこの顔を使っているな」と一歩引いて客観視することが出来るようになりました。

 

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【参考文献】

佐宗邦威 「じぶん時間を生きる」, あさま社, 2023年6月30日

平野啓一郎 「私とは何か」, 講談社, 2012年9月20日