MEMORY
INSIGHT 27
「何事にも意味があって、色んな捉え方がある。」
お仕事をご一緒している方が、ふと仰った。
相手の捉え方を変えることは難しいから、
まずは自分の捉え方から変えるという。
そう捉えられること自体が、本当に素敵だと思った。
これを間とか、余裕と言うんだろう、きっと。
STORY 4
「自分を解放する」ということは、ある意味、自分が望む変化をつくる、と言えます。
ですが実際には、人ひとりの力では限界がありますし、
自分ひとりでは、見える範囲も、できることも限られます。
また自分が当事者であり、強い想いがあるからこそ、良い/悪いではなく、
自分の偏見や価値観が邪魔をして、自分を客観視できないときもある、と思います。
そういったときは、他者に助けを借りることも大事です。
私たちは、人生を通して様々な体験をします。
その中で、成功や失敗があって、
そういった体験を重ねるほど、様々な能力・価値観・捉え方を備えていき、
結果として、自分の傾向がつくられます。
※成功や失敗は、厳密に言えば、その時点での自分の捉え方・解釈だと思いますが、わかりやすくするため、あえてこう表現しています
そうすると、
自分の傾向に当てはまらないものは、意識できず、見逃しやすくなるのは、
私たちにとって、自然なことかもしれません。
また人には、それぞれ価値観があって、
その価値観を通して、現実を見聞きします。
そのため、同じ現実・事実を見聞きしたとしても、捉える内容・視点が異なるので、
結果として、抱く印象や得られる学び、理解も異なるでしょう。
さらに、自分の表情や姿勢、言葉などの影響力については、
その影響を受けた他者が決めるので、
その他者からフィードバックがなければ、
自分の影響力が、自分の意図した通りのものなのか、わかりません。
このように、
どうしても自分ひとりでは、意識できること、見聞きできること、学べること、理解できることが限られます。
そのため、他者の視点・関わりがあると、
自分にはない視点を手に入れることができ、自分の状態を客観視するきっかけがつくれる、と思います。
自分の足りているところ、足りていないところがわかったり、
知識が増えたり、
見え方や捉え方が変わって、学びが深まったり、
新しい選択肢が手に入ることもあるでしょう。
それによって、効率化できることもあると思います。
例えば、
読書会のように、他の誰かと一緒に本を読むことで、
ちゃんと本を読み切れたり、新しい視点が手に入った、という体験がある方もいるのではないでしょうか。
また、パーソナルトレーナーのように、
一人では難しいけれど、他の誰かが伴走してくれることで、
自分が怠惰に陥らず、ダイエットが成功した、という体験がある方もいるかもしれません。
他者との関わりがあるからこそ、自分を知れる、自分を深められる。
もしあなたが、自分ひとりだけで行き詰ってしまっていたら、
まずは、他の誰かに声をかけてみるところから始めると、
新たな景色が見えてくるかもしれません。
INSIGHT 26
言語化により失ってしまうもの。
直感を言語化し、論理的に整理し、行動に落とすだけでなく、
未来を見据えて、戦略を考え、仕組み化まですれば、再現性は高まる。
しかし、その仕組みではカバーできないことが起こったとき、
同じように直感は働くか?
感覚を失ってしまうと、元に戻すのが難しいのでは。
STORY 3
人は、様々なものに縛られています。
そして、その縛りに気づく具体的なアプローチの1つとして、子供の頃の刷り込みを認識するという方法があります。
まず前提として、
人は、赤ちゃんとして、この世に生まれてくるので、自分ひとりでは、何もできません。
そのため、赤ちゃんや子供は、両親に依存することになります。
※実際には、両親ではなく、親戚などの他の誰かが、育ての親であるという場合もありますが、ここでは便宜上、「両親」としています
そうすると、良くも悪くも、また両親が意識しているか、無意識かどうかにかかわらず、
子供は、両親からの影響を多大に受けることになります。
そして、その影響は、無意識の領域に保存されることになります。
特に、両親が持つ、これは良い/悪いといった価値基準は、
子供にとっては、自分の生存に関わる(両親から見放されると、生きていけない)ので、
子供は、その基準に則ってすぐに反応ができるよう、無意識に、同じ基準を備えるようになります。
また人は、言葉を持って生まれてくるわけではないので、
言葉を覚えていない(語彙数が少ない)子供の頃の体験は、言葉による思考を介さず、
直接、視覚や聴覚、触覚といった身体感覚に刻まれます(身体記憶)。
こうして、両親からの影響は、無意識に保存され、
それが、強烈であるほど(生存に関わるほど)、繰り返されるほど、刷り込みとなっていきます。
ただ、この刷り込みが、全て悪いというわけではありません。
食べ物以外は、口にしてはいけない。
危ないから、道路に飛び出してはいけない。
そういったことも刷り込みに含まれるので、
刷り込みがあることで、私たちは、今まで生きることができた、と言えるでしょう。
ただ一方で、ネガティブな刷り込みもあります。
何がネガティブかは、その人の捉え方次第かもしれませんが、
例えば、「妹の面倒を見ないと、怒られる」といった刷り込みがある人にとっては、
妹の面倒を見ることは、嫌なことかもしれません。
また、妹よりも自分のことを見てほしい、という思いがあり、
それが、日に日に増していって、
大人になったときは、それが強い承認欲求として、表れるかもしれません。
この刷り込みと、それによる影響は、人によって様々ですし、
またその人の捉え方次第でもあるため、一概に良い/悪いは言えません。
ただ、この刷り込みは、あまりにも私たちの無意識の奥深くに根差していて、
それを認識できていないと、無意識に、その影響を受け続けることになります。
(むしろ刷り込みは、自分では認識できていないものの方が、多いのかもしれません)
また認識ができていないので、無意識に、自分の子供に対しても、同じ影響を与えることになります。
(自分が子供の頃に受けた、両親からの言葉・関わりを、自分の子供に対しても、同じようにしてしまう)
これが、両親から受けた影響が子供に連鎖する構造だと、私は考えています。
では、どうしたらいいのでしょう?
結論としては、自分にとってのネガティブな刷り込みを言語化することです。
人は、言葉を通して、物事を認識します。
言葉にすれば、目に見えない、感情や抽象的な概念も認識することができます。
また、その認識するまでの過程で、言葉にした対象を客体化することになります。
つまり、ネガティブな刷り込みを言語化するということは、
目に見えない、無意識に根差しているものを認識(意識化)し、
その過程で、ネガティブな刷り込みを自分と切り離し、客観視する、ということです。
そうすると、ネガティブな刷り込みと、自分との間に間(ま)ができるので、
ネガティブといっても、具体的には、どんな感情を抱いているのか?
なぜ、そう感じたのか?
両親からのどんな関わりが、きっかけとなったのか?
といったことを考える余地ができます。
その余地ができてはじめて、無意識に縛られず、自分が意図した選択をできるようになります。
言葉を備えた、大人になった今の私たちだからこそ、
子供の頃に思ったことや、そのとき抱いた感情、抽象的な概念までも表現できます。
さらに、そう思った/感じた自分の解釈も、言葉にできますし、
そのきっかけとなった、両親からの言葉・関わりも、言葉にして、認識することができます。
※「お兄ちゃんは、えらいね」「お兄ちゃんなんだから、我慢しなさい」と言われ、
それにより「お兄ちゃんだから、ほめてもらえる。愛される。」「お兄ちゃんじゃないと、ほめてもらえない」
と捉えていた、あの頃・・・というように
ネガティブな刷り込みを言語化するのは、辛く、苦しいものになるかもしれません。
なぜなら、子供の頃に感じたことを今の自分が体験することになるからです。
けれども、言語化できていないと、
無意識にその影響を受け続けるだけでなく、
自分の子供に対しても、同じ影響を課すことになります。
自分を解放するために、厳しいかもしれませんが、あえて問いかけさせてください。
あなたにとってのネガティブな刷り込みは、どんなものがありますか?
------------------------------
【参考文献】
シュテファニー・シュタール 「『本当の自分』がわかる心理学」, 大和書房, 2021年10月13日
STORY 2
これまでの体験を通して、また私自身のことも含めて「人は、様々なものに縛られている」と感じます。
例えば、意識/無意識にかかわらず、両親に縛られている、ということがあるかもしれません。
人は、人から産まれます。
産まれたときは、赤ちゃんなので、何かに依存しないと生きていけません。
そして、その依存先のほとんどは、両親です。
※厳密には、親戚などの育ての親ということもありますが、ここでは両親としています
だから赤ちゃんや、生後間もない子供は、両親の言動を観察し、それを取り入れるとともに、
両親からの関わりによって育ちます。
誉める、怒るなどの関わりを通して、赤ちゃんや子供は、良い/悪いの判断をしてしまうことから、
良い/悪いという基礎的な価値基準は、両親によって、最初に決められることになります。
結果として、両親に縛られるということが、多かれ少なかれ、あるかもしれません。
※両親から「負けちゃだめ!」と言われたら、子どもは、負けることを悪いことだと捉えてしまい、
スポーツでも勉強でも、自分が負けてしまうたびに、自分は悪い子と思ってしまうように
また、お金に縛られている、ということもあるでしょう。
日本は、資本主義経済なので、お金によって価値交換がなされ、お金がないと必要なものが手に入りません。
お金がある方が、必要なもの、ほしいものが手に入りやすいですし、
お金がないと、食べたいものを食べれない、行きたいところに行けないなど、現実的に選択肢が限られることになります。
※少し脇道に逸れますが、そういった現実があることから、
西野亮廣さんは、20代~30代は、この制限を取り払うために、エネルギーと時間を費やすべきと仰っていました
また、時間に縛られている、ということもあると思います。
誰でも1日24時間、365日を平等に過ごしているにもかかわらず、時間がない、と感じる。
時間に余裕があるときと、そうでないときとで、自分の状態(特に精神状態)が変わる。
欲求に縛られることも多々あります。
食べたい・飲みたい・手にしたいといった快楽の欲求はもちろん、承認欲求や、人とつながりたいという欲求もあります。
あとは、会社に縛られる、でしょうか。
役職が役割が与えられ、業務を遂行する対価として、給与をいただくことになるので、
上司の言うことを聞く必要がある。
また管理職であれば、ある意味、上司を演じないといけず、
結果に対する責任を負うあまり、部下に厳しく接することになる。
期待される役割があり、それに応じて、評価が行われ、報酬が支払われるため、
役割や役職、会社に縛られるということもあると思います。
私は、ここまで「縛られている/縛られる」という表現をしましたが、
それ自体が悪い、ということを言いたいわけではありません。
実際、時間がないからこそ、集中力が増したり、お金がないからこそ、安いもので工夫するなど、
縛りがあることによって、得られることもある、と思います。
大事なのは、その縛りから受けている影響を自身で選択できるかどうか、ではないでしょうか?
その影響を自身で選択できたら、ポジティブなものにも変えられますし、ネガティブなものは消せるかもしれません。
そのためには、まず自分が何に縛られているかに気づくこと、認識すること。
このプロセスは、憂鬱で、辛くて、落ち込むものになるかもしれませんが、
まずは、その自分と向き合ってみることが重要だと考えています。