MEMORY
STORY 3
人は、様々なものに縛られています。
そして、その縛りに気づく具体的なアプローチの1つとして、子供の頃の刷り込みを認識するという方法があります。
まず前提として、
人は、赤ちゃんとして、この世に生まれてくるので、自分ひとりでは、何もできません。
そのため、赤ちゃんや子供は、両親に依存することになります。
※実際には、両親ではなく、親戚などの他の誰かが、育ての親であるという場合もありますが、ここでは便宜上、「両親」としています
そうすると、良くも悪くも、また両親が意識しているか、無意識かどうかにかかわらず、
子供は、両親からの影響を多大に受けることになります。
そして、その影響は、無意識の領域に保存されることになります。
特に、両親が持つ、これは良い/悪いといった価値基準は、
子供にとっては、自分の生存に関わる(両親から見放されると、生きていけない)ので、
子供は、その基準に則ってすぐに反応ができるよう、無意識に、同じ基準を備えるようになります。
また人は、言葉を持って生まれてくるわけではないので、
言葉を覚えていない(語彙数が少ない)子供の頃の体験は、言葉による思考を介さず、
直接、視覚や聴覚、触覚といった身体感覚に刻まれます(身体記憶)。
こうして、両親からの影響は、無意識に保存され、
それが、強烈であるほど(生存に関わるほど)、繰り返されるほど、刷り込みとなっていきます。
ただ、この刷り込みが、全て悪いというわけではありません。
食べ物以外は、口にしてはいけない。
危ないから、道路に飛び出してはいけない。
そういったことも刷り込みに含まれるので、
刷り込みがあることで、私たちは、今まで生きることができた、と言えるでしょう。
ただ一方で、ネガティブな刷り込みもあります。
何がネガティブかは、その人の捉え方次第かもしれませんが、
例えば、「妹の面倒を見ないと、怒られる」といった刷り込みがある人にとっては、
妹の面倒を見ることは、嫌なことかもしれません。
また、妹よりも自分のことを見てほしい、という思いがあり、
それが、日に日に増していって、
大人になったときは、それが強い承認欲求として、表れるかもしれません。
この刷り込みと、それによる影響は、人によって様々ですし、
またその人の捉え方次第でもあるため、一概に良い/悪いは言えません。
ただ、この刷り込みは、あまりにも私たちの無意識の奥深くに根差していて、
それを認識できていないと、無意識に、その影響を受け続けることになります。
(むしろ刷り込みは、自分では認識できていないものの方が、多いのかもしれません)
また認識ができていないので、無意識に、自分の子供に対しても、同じ影響を与えることになります。
(自分が子供の頃に受けた、両親からの言葉・関わりを、自分の子供に対しても、同じようにしてしまう)
これが、両親から受けた影響が子供に連鎖する構造だと、私は考えています。
では、どうしたらいいのでしょう?
結論としては、自分にとってのネガティブな刷り込みを言語化することです。
人は、言葉を通して、物事を認識します。
言葉にすれば、目に見えない、感情や抽象的な概念も認識することができます。
また、その認識するまでの過程で、言葉にした対象を客体化することになります。
つまり、ネガティブな刷り込みを言語化するということは、
目に見えない、無意識に根差しているものを認識(意識化)し、
その過程で、ネガティブな刷り込みを自分と切り離し、客観視する、ということです。
そうすると、ネガティブな刷り込みと、自分との間に間(ま)ができるので、
ネガティブといっても、具体的には、どんな感情を抱いているのか?
なぜ、そう感じたのか?
両親からのどんな関わりが、きっかけとなったのか?
といったことを考える余地ができます。
その余地ができてはじめて、無意識に縛られず、自分が意図した選択をできるようになります。
言葉を備えた、大人になった今の私たちだからこそ、
子供の頃に思ったことや、そのとき抱いた感情、抽象的な概念までも表現できます。
さらに、そう思った/感じた自分の解釈も、言葉にできますし、
そのきっかけとなった、両親からの言葉・関わりも、言葉にして、認識することができます。
※「お兄ちゃんは、えらいね」「お兄ちゃんなんだから、我慢しなさい」と言われ、
それにより「お兄ちゃんだから、ほめてもらえる。愛される。」「お兄ちゃんじゃないと、ほめてもらえない」
と捉えていた、あの頃・・・というように
ネガティブな刷り込みを言語化するのは、辛く、苦しいものになるかもしれません。
なぜなら、子供の頃に感じたことを今の自分が体験することになるからです。
けれども、言語化できていないと、
無意識にその影響を受け続けるだけでなく、
自分の子供に対しても、同じ影響を課すことになります。
自分を解放するために、厳しいかもしれませんが、あえて問いかけさせてください。
あなたにとってのネガティブな刷り込みは、どんなものがありますか?
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【参考文献】
シュテファニー・シュタール 「『本当の自分』がわかる心理学」, 大和書房, 2021年10月13日
STORY 2
これまでの体験を通して、また私自身のことも含めて「人は、様々なものに縛られている」と感じます。
例えば、意識/無意識にかかわらず、両親に縛られている、ということがあるかもしれません。
人は、人から産まれます。
産まれたときは、赤ちゃんなので、何かに依存しないと生きていけません。
そして、その依存先のほとんどは、両親です。
※厳密には、親戚などの育ての親ということもありますが、ここでは両親としています
だから赤ちゃんや、生後間もない子供は、両親の言動を観察し、それを取り入れるとともに、
両親からの関わりによって育ちます。
誉める、怒るなどの関わりを通して、赤ちゃんや子供は、良い/悪いの判断をしてしまうことから、
良い/悪いという基礎的な価値基準は、両親によって、最初に決められることになります。
結果として、両親に縛られるということが、多かれ少なかれ、あるかもしれません。
※両親から「負けちゃだめ!」と言われたら、子どもは、負けることを悪いことだと捉えてしまい、
スポーツでも勉強でも、自分が負けてしまうたびに、自分は悪い子と思ってしまうように
また、お金に縛られている、ということもあるでしょう。
日本は、資本主義経済なので、お金によって価値交換がなされ、お金がないと必要なものが手に入りません。
お金がある方が、必要なもの、ほしいものが手に入りやすいですし、
お金がないと、食べたいものを食べれない、行きたいところに行けないなど、現実的に選択肢が限られることになります。
※少し脇道に逸れますが、そういった現実があることから、
西野亮廣さんは、20代~30代は、この制限を取り払うために、エネルギーと時間を費やすべきと仰っていました
また、時間に縛られている、ということもあると思います。
誰でも1日24時間、365日を平等に過ごしているにもかかわらず、時間がない、と感じる。
時間に余裕があるときと、そうでないときとで、自分の状態(特に精神状態)が変わる。
欲求に縛られることも多々あります。
食べたい・飲みたい・手にしたいといった快楽の欲求はもちろん、承認欲求や、人とつながりたいという欲求もあります。
あとは、会社に縛られる、でしょうか。
役職が役割が与えられ、業務を遂行する対価として、給与をいただくことになるので、
上司の言うことを聞く必要がある。
また管理職であれば、ある意味、上司を演じないといけず、
結果に対する責任を負うあまり、部下に厳しく接することになる。
期待される役割があり、それに応じて、評価が行われ、報酬が支払われるため、
役割や役職、会社に縛られるということもあると思います。
私は、ここまで「縛られている/縛られる」という表現をしましたが、
それ自体が悪い、ということを言いたいわけではありません。
実際、時間がないからこそ、集中力が増したり、お金がないからこそ、安いもので工夫するなど、
縛りがあることによって、得られることもある、と思います。
大事なのは、その縛りから受けている影響を自身で選択できるかどうか、ではないでしょうか?
その影響を自身で選択できたら、ポジティブなものにも変えられますし、ネガティブなものは消せるかもしれません。
そのためには、まず自分が何に縛られているかに気づくこと、認識すること。
このプロセスは、憂鬱で、辛くて、落ち込むものになるかもしれませんが、
まずは、その自分と向き合ってみることが重要だと考えています。
STORY 1
ビジネスを構成する要素は様々ありますが、私は「ビジネスは、人が中心である」と考えています。
ビジネスには経営資源が必要で、その経営資源は、よくヒト・モノ・カネ・情報と言われますが、
よくよく考えてみると、それらは全て、人が生み出していることがわかります。
例えば、ヒトは、生物学的な観点では言わずもがなですが、
トレーニング、メンタリングといった人材育成、教育を通して、人がヒトを育てているので、
ビジネスの目的に適ったヒトを生み出している、と言えると思います。
モノは、ものづくりと言われるように、カバンやアクセサリー、自動車などをつくっているのは、人です。
カネも、株や保険といった金融商品をつくっているのは人ですし、
その取引や市場、貨幣という物理的なものをつくっているのも人です。
情報は、今ではSNSを通して個人でも発信することができますが、
書籍や広告といったコンテンツも含めて、人がつくっています。
またビジネスを経営資源という視点ではなく、
戦略、仕組み(制度)、システムという視点から見ても同様で、それら全てを人が運用しています。
どんな戦略を描いても、実行できなければ、絵に描いた餅。
どんな仕組み(制度)であっても、運用できなければ、机上の空論。
システムも、誰も使わなければ、お金の無駄になってしまいます。
また人ひとりの力は、小さいですが、
人が集まることで、大きな力になり、一人ではできないことができるようになります。
そのため多くのビジネスは、人を集めて、組織で行われるんだと思います。
そうすると、ビジネスは組織により構成され、その組織は人で構成されている、と言えるので、
この視点からも「ビジネスは、人が中心である」と捉えられるでしょう。
これは一つの価値観かも知れませんが、
この文章をご覧になっているあなたは、どう思いますか?
もし同じ価値観を持って、賛同いただけているとしたら、
あなたが携わっているビジネス、所属している組織は、実際にどうでしょうか?
「ビジネスは、人が中心である」と思っていたとしても、あなたの目の前の現実が、そうなっていなかったとしたら、
あなた自身は、何から始めたいですか?
INSIGHT 25
自我を形成するプロセスに、身体感覚は欠かせない。
他者と異なる個であると認識するために、境界が必要で、
その境界は、身体感覚によるものだから。
また、生きていくには、他者との関わりが必要で、
その境界を柔軟に変えることが求められる。
それは自我の再構築とも言えるし、
だから大人になっても、感覚が大事。
INSIGHT 24
自分を表現できる言葉を見つけたら、
その言葉を魅力に感じるだろう。
その言葉が軸になり、その言葉に合った自分になろうとする。
一貫性が保たれ、その言葉どおりの人生になるだろうが、
一方で、自分が固定化されているのを忘れてはいけない。
忘れると、その言葉は呪いになり、そこから抜け出せなくなる。