MEMORY

2023-11-04 09:30:00

STORY 3

【STORY3】子供の頃の刷り込みを言語化し、縛りに気づく.jpg

 

人は、様々なものに縛られています。

そして、その縛りに気づく具体的なアプローチの1つとして、子供の頃の刷り込みを認識するという方法があります。

 

まず前提として、

人は、赤ちゃんとして、この世に生まれてくるので、自分ひとりでは、何もできません。

そのため、赤ちゃんや子供は、両親に依存することになります。

 

※実際には、両親ではなく、親戚などの他の誰かが、育ての親であるという場合もありますが、ここでは便宜上、「両親」としています

 

そうすると、良くも悪くも、また両親が意識しているか、無意識かどうかにかかわらず、

子供は、両親からの影響を多大に受けることになります。

 

そして、その影響は、無意識の領域に保存されることになります。

特に、両親が持つ、これは良い/悪いといった価値基準は、

子供にとっては、自分の生存に関わる(両親から見放されると、生きていけない)ので、

子供は、その基準に則ってすぐに反応ができるよう、無意識に、同じ基準を備えるようになります。

  

また人は、言葉を持って生まれてくるわけではないので、

言葉を覚えていない(語彙数が少ない)子供の頃の体験は、言葉による思考を介さず、

直接、視覚や聴覚、触覚といった身体感覚に刻まれます(身体記憶)。

 

こうして、両親からの影響は、無意識に保存され、

それが、強烈であるほど(生存に関わるほど)、繰り返されるほど、刷り込みとなっていきます。

 

ただ、この刷り込みが、全て悪いというわけではありません

 

食べ物以外は、口にしてはいけない。

危ないから、道路に飛び出してはいけない。

そういったことも刷り込みに含まれるので、

刷り込みがあることで、私たちは、今まで生きることができた、と言えるでしょう。

 

ただ一方で、ネガティブな刷り込みもあります。

 

何がネガティブかは、その人の捉え方次第かもしれませんが、

例えば、「妹の面倒を見ないと、怒られる」といった刷り込みがある人にとっては、

妹の面倒を見ることは、嫌なことかもしれません。

また、妹よりも自分のことを見てほしい、という思いがあり、

それが、日に日に増していって、

大人になったときは、それが強い承認欲求として、表れるかもしれません。

 

この刷り込みと、それによる影響は、人によって様々ですし、

またその人の捉え方次第でもあるため、一概に良い/悪いは言えません。

ただ、この刷り込みは、あまりにも私たちの無意識の奥深くに根差していて、

それを認識できていないと、無意識に、その影響を受け続けることになります。

(むしろ刷り込みは、自分では認識できていないものの方が、多いのかもしれません)

 

また認識ができていないので、無意識に、自分の子供に対しても、同じ影響を与えることになります

(自分が子供の頃に受けた、両親からの言葉・関わりを、自分の子供に対しても、同じようにしてしまう)

 

これが、両親から受けた影響が子供に連鎖する構造だと、私は考えています。

 

では、どうしたらいいのでしょう?

 

結論としては、自分にとってのネガティブな刷り込みを言語化することです。

 

人は、言葉を通して、物事を認識します。

言葉にすれば、目に見えない、感情や抽象的な概念も認識することができます。

また、その認識するまでの過程で、言葉にした対象を客体化することになります。

 

つまり、ネガティブな刷り込みを言語化するということは、

目に見えない、無意識に根差しているものを認識(意識化)し、

その過程で、ネガティブな刷り込みを自分と切り離し、客観視する、ということです。

 

そうすると、ネガティブな刷り込みと、自分との間に間(ま)ができるので、

 

ネガティブといっても、具体的には、どんな感情を抱いているのか?

なぜ、そう感じたのか?

両親からのどんな関わりが、きっかけとなったのか?

 

といったことを考える余地ができます。

その余地ができてはじめて、無意識に縛られず、自分が意図した選択をできるようになります。

 

言葉を備えた、大人になった今の私たちだからこそ、

子供の頃に思ったことや、そのとき抱いた感情、抽象的な概念までも表現できます。

さらに、そう思った/感じた自分の解釈も、言葉にできますし、

そのきっかけとなった、両親からの言葉・関わりも、言葉にして、認識することができます。

 

※「お兄ちゃんは、えらいね」「お兄ちゃんなんだから、我慢しなさい」と言われ、

それにより「お兄ちゃんだから、ほめてもらえる。愛される。」「お兄ちゃんじゃないと、ほめてもらえない」

と捉えていた、あの頃・・・というように

 

ネガティブな刷り込みを言語化するのは、辛く、苦しいものになるかもしれません。

なぜなら、子供の頃に感じたことを今の自分が体験することになるからです。

 

けれども、言語化できていないと、

無意識にその影響を受け続けるだけでなく、

自分の子供に対しても、同じ影響を課すことになります。

 

自分を解放するために、厳しいかもしれませんが、あえて問いかけさせてください。

 

あなたにとってのネガティブな刷り込みは、どんなものがありますか?


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【参考文献】

シュテファニー・シュタール 「『本当の自分』がわかる心理学」, 大和書房, 2021年10月13日 

2023-11-02 09:30:00

STORY 2

【STORY2】人は、様々なものに縛られている.jpg

 

これまでの体験を通して、また私自身のことも含めて「人は、様々なものに縛られている」と感じます。

 

例えば、意識/無意識にかかわらず、両親に縛られている、ということがあるかもしれません。

 

人は、人から産まれます。

産まれたときは、赤ちゃんなので、何かに依存しないと生きていけません。

そして、その依存先のほとんどは、両親です。

※厳密には、親戚などの育ての親ということもありますが、ここでは両親としています

 

だから赤ちゃんや、生後間もない子供は、両親の言動を観察し、それを取り入れるとともに、

両親からの関わりによって育ちます。

誉める、怒るなどの関わりを通して、赤ちゃんや子供は、良い/悪いの判断をしてしまうことから、

良い/悪いという基礎的な価値基準は、両親によって、最初に決められることになります。

結果として、両親に縛られるということが、多かれ少なかれ、あるかもしれません。

 

※両親から「負けちゃだめ!」と言われたら、子どもは、負けることを悪いことだと捉えてしまい、

スポーツでも勉強でも、自分が負けてしまうたびに、自分は悪い子と思ってしまうように

 

また、お金に縛られている、ということもあるでしょう。

日本は、資本主義経済なので、お金によって価値交換がなされ、お金がないと必要なものが手に入りません。

お金がある方が、必要なもの、ほしいものが手に入りやすいですし、

お金がないと、食べたいものを食べれない、行きたいところに行けないなど、現実的に選択肢が限られることになります。

※少し脇道に逸れますが、そういった現実があることから、

西野亮廣さんは、20代~30代は、この制限を取り払うために、エネルギーと時間を費やすべきと仰っていました

 

また、時間に縛られている、ということもあると思います。

誰でも1日24時間、365日を平等に過ごしているにもかかわらず、時間がない、と感じる。

時間に余裕があるときと、そうでないときとで、自分の状態(特に精神状態)が変わる。

 

欲求に縛られることも多々あります。

食べたい・飲みたい・手にしたいといった快楽の欲求はもちろん、承認欲求や、人とつながりたいという欲求もあります。

 

あとは、会社に縛られる、でしょうか。

役職が役割が与えられ、業務を遂行する対価として、給与をいただくことになるので、

上司の言うことを聞く必要がある。

また管理職であれば、ある意味、上司を演じないといけず、

結果に対する責任を負うあまり、部下に厳しく接することになる。

期待される役割があり、それに応じて、評価が行われ、報酬が支払われるため、

役割や役職、会社に縛られるということもあると思います。

 

私は、ここまで「縛られている/縛られる」という表現をしましたが、

それ自体が悪い、ということを言いたいわけではありません。

実際、時間がないからこそ、集中力が増したり、お金がないからこそ、安いもので工夫するなど、

縛りがあることによって、得られることもある、と思います。

 

大事なのは、その縛りから受けている影響を自身で選択できるかどうか、ではないでしょうか?

その影響を自身で選択できたら、ポジティブなものにも変えられますし、ネガティブなものは消せるかもしれません。

  

そのためには、まず自分が何に縛られているかに気づくこと、認識すること

このプロセスは、憂鬱で、辛くて、落ち込むものになるかもしれませんが、

まずは、その自分と向き合ってみることが重要だと考えています。

2023-10-30 09:30:00

STORY 1

【STORY1】ビジネスは人が中心である.jpg

 

ビジネスを構成する要素は様々ありますが、私は「ビジネスは、人が中心である」と考えています。

 

ビジネスには経営資源が必要で、その経営資源は、よくヒト・モノ・カネ・情報と言われますが、

よくよく考えてみると、それらは全て、人が生み出していることがわかります。

 

例えば、ヒトは、生物学的な観点では言わずもがなですが、

トレーニング、メンタリングといった人材育成、教育を通して、人がヒトを育てているので、

ビジネスの目的に適ったヒトを生み出している、と言えると思います。

 

モノは、ものづくりと言われるように、カバンやアクセサリー、自動車などをつくっているのは、人です。

 

カネも、株や保険といった金融商品をつくっているのは人ですし、

その取引や市場、貨幣という物理的なものをつくっているのも人です。

 

情報は、今ではSNSを通して個人でも発信することができますが、

書籍や広告といったコンテンツも含めて、人がつくっています。

 

またビジネスを経営資源という視点ではなく、

戦略、仕組み(制度)、システムという視点から見ても同様で、それら全てを人が運用しています

 

どんな戦略を描いても、実行できなければ、絵に描いた餅。

どんな仕組み(制度)であっても、運用できなければ、机上の空論。

システムも、誰も使わなければ、お金の無駄になってしまいます。

 

また人ひとりの力は、小さいですが、

人が集まることで、大きな力になり、一人ではできないことができるようになります。

そのため多くのビジネスは、人を集めて、組織で行われるんだと思います。

そうすると、ビジネスは組織により構成され、その組織は人で構成されている、と言えるので、

この視点からも「ビジネスは、人が中心である」と捉えられるでしょう。

 

これは一つの価値観かも知れませんが、

この文章をご覧になっているあなたは、どう思いますか?

 

もし同じ価値観を持って、賛同いただけているとしたら、

あなたが携わっているビジネス、所属している組織は、実際にどうでしょうか?

 

「ビジネスは、人が中心である」と思っていたとしても、あなたの目の前の現実が、そうなっていなかったとしたら、

あなた自身は、何から始めたいですか?

2023-09-27 10:32:00

INSIGHT 25

自我を形成するプロセスに、身体感覚は欠かせない。

他者と異なる個であると認識するために、境界が必要で、

その境界は、身体感覚によるものだから。

また、生きていくには、他者との関わりが必要で、

その境界を柔軟に変えることが求められる。

それは自我の再構築とも言えるし、

だから大人になっても、感覚が大事。

2023-09-25 09:18:00

INSIGHT 24

自分を表現できる言葉を見つけたら、

その言葉を魅力に感じるだろう。

その言葉が軸になり、その言葉に合った自分になろうとする。

一貫性が保たれ、その言葉どおりの人生になるだろうが、

一方で、自分が固定化されているのを忘れてはいけない。

忘れると、その言葉は呪いになり、そこから抜け出せなくなる。